15.ザ・ブルー・コメッツ更に加筆していきます。(文中敬称略)ザ・スパイダースと並びGS界の2大老舗バンド。 '57年9月竹田きみひこ(ロカビリー歌手)のバック・バンドとして結成されたのがこのグループの母体である。演奏テクニックは海外でも評判で、ワンダー・ジャクソン、ジーン・ヴィンセントといった外タレの国内公演のバック・バンドを務めた。 '59年に一時解散したが、'60年に田村 亘(G)、ジャッキー吉川(Ds)、高橋健二(Eb)、宮川英雄(P)、井上忠夫(テナーサックス)で活動を再開する。鹿内タカシ、麻生京子、尾藤イサオなどをボーカルに迎え、ロカビリー色の強いバンドだった。その後、メンバーチェンジを行い、第二期ブルー・コメッツとして活動を始める。 メンバーは、ジャッキー吉川(Ds)、高橋健二(Eb)、三原綱木(Eg、Vo)、井上忠夫(フルート、テナーサックス、Vo)、小田啓義(O)の5人。 CBSコロムビアから、'66年3月「青い瞳/青い彗星」(英語盤)でレコード・デビューする。('66年2月に同レコード会社からエレキ・インストのシングル「サンダーボール/ミスター・キス・キス・バンバン」をこの直前にリリースしている) ジャッキー吉川は、高校3年の'58年にバンド・ボーイとして、ブルー・コメッツに参加。その後、脱退し他のバンドに加入し、'61年再加入。 高橋健二は、高校卒業後仲間とウエスタン・バンドで活動していたが、'62年大橋プロの大橋道二社長にスカウトされブルー・コメッツに参加。 '63年実家の都合で脱退するが、'65年再加入。(高橋の後任に、江藤 勲が加入) 三原綱木は、'62年7月に鈴木やすし傘下のハイランド・ネクターに参加。 その後、ファイア・ボールに加入後'63年ブルー・コメッツに参加。 井上忠夫は、大学在学中に軽音楽同好会を設立。 モダン・ジャズを中心に活動を行っていたところを大橋社長にスカウトされ、'62年にブルー・コメッツに参加。('00年5月に他界) 小田啓義は、高校時代より、ジャズ・ピアノで活動を行っていたが、'60年に強引にブルー・コメッツに参加させられる。 '61年、田代久勝とウエスタン・キャラバンへ移籍し、'63年再加入。 ザ・ビートルズの武道館コンサートにおいてオープニング・アクトを務め、その時"ビートルズ"からギターを筆頭に演奏テクニックが最高と誉められた最初で最後の日本のバンド '67年12月31日に、GS最大のヒット曲「ブルー・シャトー」でNHK紅白歌合戦に出場し、同年のレコード大賞も受賞する。 また、歌謡界の女王美空ひばりの「真っ赤な太陽」ではバックをサポートした。 その後もブルー・コメッツの勢いは止まらず、'68年には渡米してエド・サリバン・ショーへ日本人グループとして初めて出演を果たし、次いでヨーロッパ公演を実現させ名実ともNo1のグループに成長した。 '68年に脱GSを宣言(レコードの購買対象年齢の引き上げ作戦により)し、歌謡曲路線(路線変更後の第一弾「さよならのあとで/小さな秘密」'68年10月15日発売、は当時流行のムード歌謡曲)へ音楽性を変更した。 ブルー・コメッツはデビューから第二期活動停止までに次の27枚のシングル・レコードをリリースした。 「サンダーボール(インスト)/ミスター・キス・キス・バンバン(インスト)」'66年2月10日発売、「青い瞳(英語盤)/青い彗星(インスト)」'66年3月発売、「愛の終わりに/バラ色のドレス」'66年4月発売、「青い瞳(日本語盤)/マリナによせて(インスト)」'66年7月10日発売、「青い渚/星に祈りを」'66年9月1日発売、「ジングル・ベル(インスト)/ブルー・クリスマス(インスト)」'66年11月発売、「何処へ/センチメンタル・シテイ」'66年12月5日発売、「ブルー・シャトウ/甘いお話」'67年3月15日発売、「マリアの泉/白い恋人」'67年6月25日発売、「北国の二人/銀色の波」'67年9月15日発売、「こころの虹/すみれ色の涙」'68年1月25日発売、「白鳥の歌/雨の舗道」'68年4月25日発売、「草原の輝き/マイ・サマー・ガール」'68年6月30日発売、「さよならのあとで/小さな秘密」'68年10月15日発売、「雨の赤坂/黒いレースの女」'68年12月25日発売、「涙の糸/ブルー・シャンソン」'69年4月25日発売、「海辺の石段/冬の嵐」'69年10月1日発売、「それはキッスで始まった/あじさい色の恋」'70年2月20日発売、「泣きながら恋して/悲しき玩具」'70年7月10日発売、「むらさき日記/だから今すぐ」'70年9月25日発売、「雨の賛美歌/運命だから」'71年1月10日発売、「津軽の海/鏡の中で見た恋は」'71年4月10日発売、「エデンの東(インスト)/慕情(インスト)」'71年7月発売、「生きるよろこびを/その時雲は流れてた」'71年8月25日発売、「虹と雪のバラード/愛の子守唄」'71年9月10日発売、「希望にみちた二人のために/想い出の彼方に」'72年2月10日発売、「雨の朝の少女/哀愁のパリ」'72年8月10日発売(全て、コロムビアから発売) '72年にコロムビアとの契約解消後ビクターに移籍して、ジャッキー吉川と小田啓義を中心として新たに、女性ボーカル3人と若手のメンバーでジャツキー吉川とニュー・ブルー・コメッツを編成し、第三期をスタートさせる。 メンバーは、ジャッキー吉川(Ds)、小田啓義(O)、ヒロ池ケ谷(Ds)、白鳥健二(Eb)、姫神じゅん(Eg、Vo)、山根宮子(P、Vo)、佐伯芳江(Vo、O)の7人。 '73年4月に「哀しき少女/恋に首ったけ」でビクターからレコードをリリースする。 その後も、10枚程レコードをリリースする(楽曲名は未把握) 更に、メンバーチェンジを行い、第四期、メンバーは、ジャッキー吉川(Ds)、小田啓義(Key)、金崎タミキ(Eb、Vo)、早見タロー(Eg、Vo)、渡辺トオル(テナーサックス、Vo)の5人で活動。 第五期のメンバーは、ジャッキー吉川(ds)、森本博夫(Eg)、平石友実(Eb)、中野 誠(Key)、上瀧洋之(Vo)の5人。 『ジャッキー吉川とブルー・コメッツの公式サイト』 井上忠夫は'00年5月30日に六本木の自宅で自ら命を絶ち亡くなっています。享年58歳。 グループ解散後は井上大輔の名前で作曲家として活動し、「2億4千万の瞳」、「ランナウェイ」など数多くのヒット曲を生み出しました。大作曲家でもあった井上忠夫についてもっと知りたい方は『井上忠夫氏の仕事』。 また、天才ギタリストの『三原綱木』HPも 『小田啓義』HPも 『高橋健二』HPも '08年08月24日現在 追加画像up完了 ※いしだあゆみ、エミー・ジャクソン、美空ひばり、尾藤イサオのレコードはジャッキー吉川とブルー・コメッツがバッキングを担当した楽曲です。
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